独学者の手記

独学者のメモです。

社会主義覚書(6) マルクスは平和革命論者か

『若者よマルクスを読もう』で石川康宏先生は次のように述べておられます。

 

マルクスの革命論は、議会をつうじて労働者階級の権力をまず打ち立て、それを推進力として、労資関係を基本とした資本主義関係を転換していくという道筋になっています。つまり、世間でよくいわれる「暴力革命」論ではないのです。じつは、マルクスを「暴力革命」論者として有名にする上で大きな役割を果たしたのは、皮肉なことに後のレーニンでした。例の『国家と革命』です。さらに、そのレーニンの議論を一層単純化して普及したのがスターリンです。この革命の方法論については、マルクスレーニンのあいだに大きな見解の相違があります…。(140頁)

 

では、そのレーニンの『国家と革命』(角田安正訳、ちくま学芸文庫)から引用してみましょう。

 

エンゲルスにおいては、暴力革命の歴史的評価がそのまま暴力革命の正真正銘の賛辞となっている。…エンゲルスの考察は以下のとおりである。(042頁)

 

そしてレーニンエンゲルスの言葉を『反デューリング論』から抜き出します。以下、レーニンの『国家と革命』から孫引きをしていきます。

 

…暴力は歴史上、(悪の根源であると同時に)別の役割も果たしている。それは革命という役割である。暴力はマルクスの言によれば、新しい社会を孕むあらゆる古い社会の産婆である。暴力とは、社会運動がその前途をうがつための道具であり、硬直化して、麻痺状態に陥った政治的形式を粉砕するための道具である。…デューリング氏はなんと、「残念ながら」と断りつつ、搾取経済体制を転覆させるためには恐らく暴力が必要になるということを、ため息まじりにいやいや認めているだけである。なぜ「残念ながら」かというと、暴力を行使する者は決まって精神が堕落するからだ、というのがデューリング氏の言い分である。ところが、こうしたデューリング氏の発言は、革命が勝利すれば決まって高邁な道徳と思想が高揚するという事実を無視するものである!

 

いかがでしょうか。ここに書かれていることを要約してみましょう。(1)暴力は新社会を生み出す産婆である(マルクスの思想とされています)、(2)暴力はデューリング氏の言うように消極的に認めるのではなくて積極的に推し進めるべきである、(3)暴力革命成就の暁には高邁な道徳と思想が高揚する、となります。暴力は避けるべきものではなくて推進すべきものであり、しかも暴力が一段落するや道徳心が高揚するというのです。明らかなる暴力肯定論です。しかもこの考えにはマルクスが一枚嚙んでいる、とエンゲルスは考えているのです。以下にここで述べられたマルクスの言葉を『資本論』から引用します。

 

強力は、新しい社会をはらむ、すべての古い社会の助産婦である。(向坂逸郎訳、第1巻第7編第24章第6節、岩波文庫資本論(三)』398頁)

 

ここでいう「強力」とは「暴力」の意味であろうと思われます。ここでは、マルクスは暴力を為すべしとは言ってはいないものの、少しも否定していないのです。こうしたことから、石川先生のマルクス平和革命論者説は私には納得しかねるのです。レーニンマルクスを暴力革命の提唱者としたのではなくて、マルクスの盟友たるエンゲルスがそうしたのであり、のみならずマルクス自身暴力を少しも回避しようとしていないように思われれるのです。