独学者の手記

独学者のメモです。

社会主義覚書(1) マルクスの姿

「若者よマルクスを読もうⅠ~Ⅲ」を読んでいます。内田樹先生と石川康宏先生の往復書簡の形式をとったマルクス思想の入門書といった本です。このなかで、石川先生は繰り返し主張されているのは、マルクスは平和裏に革命を目指していた、とのご意見です。そしてマルクス主義を武力中心の説へと逸脱させたのはレーニンだと言われるのです。

初めてこの箇所を読んだ時、にわかには信じられませんでした。マルクスは暴力革命家であり、その正統的後継者がレーニンなり毛沢東なりだとばかり思っていたからです。私はこの3冊の書を読了しておらず、マルクスの著作に精通もしていないので、うかつなことは申し上げられませんが、やはりいまでも平和主義者マルクスの姿を思い浮かべられないでいます。私なりに検証してみましょう。

「若者よマルクスを読もうⅢ」の第一部で、石川先生は次のように書かれています。

マルクスは一八四八年のドイツ革命で、男女共通の普通選挙権を第一にかかげて身を挺して闘った経験をもち、その後も一貫して「多数者の合意による平和的な革命の道」を探究しました。しかし、レーニンは資本主義の国家の下で、そのようなことは原理的に不可能であり、したがって革命はいつでも「武力」による他ないと結論します。(p.16)

私はこのマルクスの姿がにわかには信じられないのです。根拠としては、マルクスの書にあり、またエンゲルスの書にある言説として、いかにも暴力を彷彿とさせるものがあり、また実際に暴力を容認するのみならず不可避とする文章があるからです。

以下、縷々として検討していきたいと思います。